【ジャニス渚】人の喜びを自分のことのように喜べる人でありたい
「人の喜びを自分のことのように喜べる人」
この言葉を聞くと、私はいつも静かな尊敬の念を抱く。
誰かが成功した時、
誰かが幸せそうに笑っている時、
それを見て、心から「良かったね」と思える人。
それは簡単なようで、実はとても難しい。
なぜなら、私たちの心にはどうしても、比較や嫉妬が入り込んでくるからだ。
嫉妬心があると共感は遠のく
嫉妬心が強い時、人は共感できなくなる。
相手の喜びは祝福すべきものではなく、自分の足りなさを突きつける材料になってしまう。
「どうして自分じゃないんだろう」
「自分の方が頑張っているのに」
そんな思いが浮かぶと、相手の喜びに心を向ける余裕はなくなる。
でもこれは、性格の問題というより、心の状態の問題だと思う。
嫉妬が強い時は、
自分が満たされていない時、
自分の価値を他人と比べてしまっている時
なのだ。
共感できる人は心に余白がある
人の喜びを喜べる人は、自分の人生の軸をしっかり持っている。
他人の成功を、「自分の負け」として受け取らない。
だからこそ、相手の幸せを脅威ではなく、
ただの「嬉しい出来事」として受け止められる。
それは、
✅共感力
✅利他性
✅心の余裕
が揃って初めて生まれる態度だと思う。
憧れるということは、もう一歩目に立っている
私は、そんな人に憧れる。
しかし、最近思うのは、
憧れると感じられること自体が、もう才能なのではないかと。
最初から完璧に喜べなくてもいい。
嫉妬がよぎってもいい。
「それでも祝福できる人でありたい」
と思えることが大切なのだ。
「すごいな」
「良かったね」
その一言が、いつか心からの言葉になる日が来る。
最後に
人の喜びを、自分のことのように喜べる人は、きっと静かに信頼を集め、
そして気づかないうちに、自分自身も喜ばれる存在になっていく。
私も、そんな人でありたい。

