
《比呂 酒井》タカ先生と出会い、占い師として再出発。35歳からの人生がいちばん自由だった
はじめまして。
新潟を中心に、全国を旅しながら
占いをしている比呂酒井です。
今年で60歳になりますが、
いまでも大型バイクを乗り回して
日本列島どこへでも行きます。
基本的には新潟を拠点にしながら、
電話占いヴェルニで鑑定をしています。
旅行が好きですから、
国内どこへでも出張して鑑定します。
このたびは新潟ではないですが
日本海側の北陸の地に『ほしよみ堂』ができたので、
微力ではありますが末席を汚させていただきます。
人生のほとんど、営業職でした。
しかし、ぼくはこの年齢になって、
「自由に生きる」
ことの素晴らしさを噛み締めています。
あれは27年前のこと。
じつは宗教関係の職員をしておりました。
新潟支部において管理職でした。
しかし、
そこの団体はカルトっぽい活動が問題視されていて、
いろいろ疑問が湧いてきたのです。
そんなとき友人が、
ある本を紹介してくれました。
ぼくが所属していた宗教団体を、
じつにあざやかに否定し、
そして本来のあるべき
宗教の姿を説いた書籍でした。
しかも、その著者が、
東京と京都でセミナーをやるという情報を聞き、
ぼくはワクワクしながら参加しました。
それが中島多加仁先生だったのです。
いまでは占い師として有名ですが、
当時は、まったくの無名人でした。
先生は、まだ28才。
でも、そんな若さを感じさせないほど、
論理的で説得力のある内容の話でした。
本に書いてあった文章が、
そのまま言葉で語られるので、
すごく迫力を感じて引き込まれましたね。
セミナーは、毎月2度。
1年間、すべて出席しました。
参加者には「レイキマスター」といわれている人たちが、
たくさんいました。
名前は伏せますが、
本を出されている有名な人たちも、
中島多加仁先生の講座の常連だったのです。
他にも、
アロマテラピストやリフレクソロジスト、
漢方医やら鍼灸師、
そして現役のお医者さん。
つまり、医療に携わる専門家が多かった印象が強いです。
タカ先生の元からは、
たくさんの実力者が生まれていきました。
当時の先生の弟子たちは、ほぼ全員が年上でしたね。
プライドの高い人が多かったので、
多くの人が先生の元を去っていきました。
しかしぼくは宗教団体の職員を辞めてから、
営業マンになりましたので、
それから10年以上も無く目をかけてもらいました。
そして、
「ヒロさんは占い師に向いているから」
と、紫微斗数という占術を教えてもらいました。
特に名古屋方面でやっていた、
ある陰陽師の集会には、
貴重な話を聞くために毎月通っていました。
毎月のことなのに、いつも話が新鮮で、
新しい発見ばかりでした。
金沢店が繁盛して、
いつか新潟にも出店してくださると嬉しいです。
人生100年の時代、
おそらく占い師という仕事は
85歳くらいまでできると思います。
ぼくもあと25年は占いを現役で続けるでしょう。